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匠の世界 ~創意工夫~「樹脂の歴史、シンシにあり」

株式会社シンシは、2012年に創立60周年を迎え、プラスチック(樹脂)板加工のパイオニアとして、業界にその影響力を与え続けている。その圧倒的な現場の歴史をほとんど目にした匠が、『シンシ』にはいる。

二人の匠

山浦光夫

山浦光夫

彼は、中学校を卒業して直ぐに当時の伸始工業株式会社(現:株式会社シンシ)に勤め始め、主に接着作業に携わり、接着一筋56年の人物。

小川良雄

小川良雄

彼は、山浦に遅れること1年、同じく中学校を卒業すると共に伸始工業株式会社で働き始め、後々には東京工場長も勤めた人物。

彼らが働き始めた頃はたいした工具も無く、今では考えにくいがアクリル板を切るのにノコギリを使っていた様な時代だ。当時は、飲食店や結婚式場へのアクリルドアや蛍光灯の照明カバーが主品目だったという。工具がなかった為、一日作業をしても数が上がらず、また現地での取り付け作業にも電車で行くからそんなに工具は持っていけなかった。

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懐かしい目をして山浦は語る。

「当時は接着剤もいいものが無かった。現場で別の業者が手配した金属部材と製品が合わなくて、薬缶に色々入れて温度計で見ながら接着剤を作ったりなんて事までした。
その後、溶剤を注射器で流す事を始めて飛躍的に技術が上がった。
でも、それはまだまだ始まりだったんだよ。
それからは泡が入らないように、少しでも綺麗に製品が出来るように考え始めたらね。未だに手探りだよ。」

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小川も若手を見つめながら揚々と語ってくれた。

「東京オリンピックの頃(1964年頃)から作る製品は、今のシンシに似てきた。
初代新幹線の先頭車の部材を作ったけど、なかなか成形品と接着がうまくいかなくて、かなり苦労したな。
でも、接着の助剤を変えてみようと思いついて、試しにやってみたらうまくいった。
その時はうれしかったね。
他にも御国の仕事を随分やってたから、おかしな製品は世に出せないっていう自負がすごくあったよね。」

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時代を歩む。

時代が進むにつれ、電動工具やNCといった機械が現場に導入され始め、仕事が段違いに変わってくる。水槽パネルはそれ以前から製作していたが、トンネルや円筒など、より厚く、より大きく、構造がより複雑になっていった。 また、国内だけではなく海外への出張作業も増えていく事で、新しい問題もでてくるようになる。国外での作業では工具の盗難にもあったが、海外ではその道具の入手が難しいものもある。それ以外にも温度の問題は顕著である。摂氏マイナス10度くらいから50度近い環境下では、接着剤の硬化具合は全く異なってくる。管理面でも大変な苦労をする。

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積み重ねてきた先の喜びがある。

日本では、一つの現場に色々な業者が入って仕事をする場合は、ゼネコンなど仲介者が間にいるが、海外ではそんな役目を持った人間がいない。時には、上から解体工事のコンクリートが落ちてくる中で作業をしなければいけない。 言葉が通じない中、苦労してコミュニケーションをとり、こちらの要求を伝える。全ての要求が通るわけではないが、日本人グループで意思統一し、ひとつの水族館を作り上げる。誰もがそんな場所で仕事をした事が無いが、試行錯誤の上、全国各地、世界中の水族館向け大型パネルの製作に携わっている壮大な喜びを皆感じている。

現在のシンシでは、二人の様な大先輩が指導する新たな匠が生まれきている。その中には女性の匠もいる。重い物を運ぶなど体力的に負担が掛かる仕事では男性には及ばないが、女性ならではの丁寧で繊細な心配りが随所にみられ、 また、女性のクライアントも増えてきているので、その点でもお互いに分かち合える事ができ、良い刺激として影響を及ぼす。これは、今後のトレンドとなっていくであろう。

これからの日本の製造業は、GDP世界第2位の中国やアジア諸国の台頭、未曾有の円高などの影響で一層苦しくなっていく。日本国内も頭打ち感があり、単価が下がり、短納期の仕事も多くなっていく。それでも製造業全てが廃業するわけではない。日本の製造業は、ものづくりの原点を知っている。

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小川は話す。

『まずはコミュニケーション。お客さんがどのような事を望んでいるのかを把握する事が大事。金が全てではない。
その上で、今までの技術では出来ない事もあるかもしれない。
そこで諦めないで考える事で、新しい技術ややり方が生まれてくるんだよ』

伝統と新しい技術の融合を目指し、シンシは歩み続ける。

記 2012/02/吉日